玉子焼き

三角形のとてもとても大きな、茶色い液体に、
ぼくはぼくの右手を埋め込んだ。

右手は段々黄ばんで、すぐに真っ黒になってしまった。

みんなが大成功だ大成功だと言って喜んでくれたので、
ぼくも一緒になって大喜びした。

だけどぼくの右手は真っ黒のまま。

みんなで大喜びしたあと、洗面所へいって手を洗ってみたけれど、
ぼくの右手は真っ黒なままだ。

それどころか、ぼくの右手はいつのまにか
とても綺麗な紫色になっていた。

ぼくの右手は光沢を帯びて、
とても心地よくキラキラとしている。

道行く人々は、そんなぼくの右手にみとれている
ようだったけれど、ぼくはちっとも気持ちよく無かった。

最初の内は。

そう言えばぼくの右手が真っ黒になって大喜びして
くれた人たちは、いつの間にかどこかへ行ってしまった。

一体どこへ行ってしまったんだろう？

でもぼくはもうそんなことには興味は無かった、
ぼくの右手は一体どうしてしまったのか、
この右手をどう使おうか、そんなことを考えてはドキドキしている。

紫色に輝くぼくの右手だけれど、
そんなぼくの右手を賞賛してくれる人こそいるけれど、
ぼくの右手を悪く言う人は誰１人としていなかった。

きっと、それなりに素晴らしいものなんだと思う。

そう思うと、みんないなくなってしまったけれど、
やっぱりあの時みんなで大喜びした通り、
茶色い液体は成功だったんじゃないかと思う。

それはとっても不思議な気持ちだった。

どうしてぼくの右手は賞賛されるのか。
元々のぼくの右手はどこに行ってしまったのか。

ぼくには何も分からない。

分からないけれど、
ただ賛美されるだけであるけれど、
悪い気はしないんだ。

ある日、ぼくはぼくの右手を譲って欲しいという人に出会った。
もちろんそんな申し出は断ったけれど、提示された金額はおそらくぼくが
一生働いたって、手にすることが出来ないだろう、そんな額だった。

だからって、そんなはした金でこの右手を譲ることなんてある訳がないじゃないか。

そんな右手を携えて、ぼくは今日も生きている。

みんなぼくの右手に憧れて、ぼくの右手を愛してくれる。

ぼくの右手のお陰で救われた、幸せな結婚が出来た、
希望の会社に就職出来た、なんて、わけの分からない手紙が
毎日のように沢山来たりするようになったけれど、

それは違うんだ。

ぼくのお陰なんかじゃない。
みんなのお陰だ。

ぼくの右手は今日もとても綺麗にキラキラと輝いている。

それだけのことだけど。
それだけで充分じゃないか。

毎朝彼女がつくってくれる
ちょっと甘めの玉子焼きもおいしいけれど、

それよりも、もっとおいしい玉子焼きを焼いてあげたいんだ。