ただの日常

そこに行ったら何かがあると思っていたけど、
そこに行ったって何にも無かった。

それどころか、そこなんて無かったんだ。
あったのはただの日常。

毎日慌ただしく生まれて、
毎日慌ただしく死んでいく日常。

ぼくはいつだったか、
彼女のことを好きだと思っていた。

だけどそんな日常にあっては
彼女もまた日常以外のなにものでもない。

もちろんぼくだって日常だ。

日常は無常で無常は有滅だ。
だからみんな死んでしまう。

次から次へと死んでしまう。

生き残ったものたちで一生懸命生きる。
だけどやっぱり死んでしまう。

死んで死んで死んで死んで、
そうしてようやくぼくらは生きて行ける。

ぼくらが彼らの犠牲の上に成り立っているように、
ぼくらの犠牲もまた、誰かが生きていくために
必要なんだ。

だから、彼女も死んでしまったのかも知れないし、
やっぱりぼくもその内死んでしまうんだと思う。

死んでしまったあとはどうなるのか。

ぼくはまだ死んでいないから、
よく分からないけれど。

死ぬことを恐れていては、この日常は成り立たない。
それがこの日常のルールなんだ。

そのルールに従わなければ、
生きることも死ぬことさえも許されない。

そんなところへぼくはやって来た。

「そもそも目指したその場所なんて、最初から無かったんだ。」

ぼくがこの場所に辿り着いた時、
そう街の貼り紙に書いてあった。

きっと、ぼくと同じように他の土地から、
この場所を目指した誰かが、貼ったんだろう。

ぼくはその貼り紙にすっかり言いくるめられて
しまったのかも知れないけれど、今はぼくも
そんな風に思っている。

だからぼくもまた、新しくこの土地を目指して来た
人のために、同じ文句を書いて、電柱に貼り付けた。

今ではこの街は、そんな文句の書かれた貼り紙でいっぱいだ。
どこへ行ったってその貼り紙を見ないことなんてない。

トイレの中だって、台所だって、はたまたテレビの
中にだって、その貼り紙ははびこっているんだ。

そんな貼り紙を貼り付けながら、
きっとぼくらもまた、死んでしまう。

それでも生き残った人たちが、
きっとこの日常を生き長らえさせてくれるのだろう。

そんな日常の中、ぼくは最近ちょっと気になる
貼り紙を見かけるようになった。

「目指した場所はここじゃない」

最初は、何を馬鹿なことを、と、
頭がおかしいんじゃないかと、思っていた。

けれど毎日そんな貼り紙を見かける度に、
ぼくはその貼り紙がだんだん気になるようになっていた。

「目指した場所はここじゃない」

目指した場所がここじゃないのだとしたら?
この日常ではない日常があるのだとしたら?

ぼくはいつしかそんなことばかり考える
ようになっていた。

そこではきっと彼女のことも大好きだし、
大好きなあの人だって死んでしまったりしない。

本当だろうか?

今、ぼくの目の前には二枚の貼り紙がある。

一枚は、毎日のように貼り付け続けた貼り紙、
もう一枚は、最近目にするようになった、貼り紙。

そこには何も無かったかも知れないけれど、
あそこには何かがあるかも知れない。

ぼくは二枚の貼り紙を見つめながら思い出した。

ぼくは街の入り口に、
後者の貼り紙を貼り付けて、そこを後にした。

違うところに行ってもきっとぼくは、
また同じ貼り紙を見ることになるのだろうけれど。

そう、それこそ今まで何度と繰り返した、日常。

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