摩周湖でカレーを食べて純愛する話

ぼくはカレーを頭からかぶりながら、
これで良いんだ、うん、これで良いんだ、と思った。

今から2ヶ月前、ぼくは夏休みを利用して、
ここ、北海道は弟子屈へやって来た。

弟子屈なんて地名も、全然知らなかったし、
そしてもちろんカレーと少女の存在も。

長く居るつもりはなかったのだ。
摩周湖を見たくて、観光でちょっと、
立ち寄っただけ、だった。

その日はとてもよく晴れた日で、初めて目にした摩周湖は
信じられないくらいの青さでその水を湛えていた。

吸い込まれてしまいそうな青さだった。

世の中にこんなに青いものがあったのか、
そう思うほどに青くて、ぼくはただただそんな
青さを眺めていた。

そんな時だった。

「あの、すいません、カレー、食べませんか?」

「あ、あの、カレー」

ふと気付くとぼくの後ろの方で女の子が
小さな声でなにやら言っている。

「あっ、あの、カレー、食べませんか?」

カ、カレー?

少し背丈の低い小柄な女の子が
カレーを頭の上に載せて恥ずかしそうにそう言っていた。

カレーを頭の上に載せた少女はなんだかとても
可愛くて、ぼくはすっかり気に入ってしまった。

「うん、じゃあカレーを一つもらおうかな」

女の子の可愛らしさも手伝って、
ぼくは思わずそのカレーを食べてみたくなった。

女の子はとても嬉しそうな顔をして
「ありがとうございます!」と、
それまでの声からは想像出来ないくらい、
元気なとても明るい声で、ぼくにそう応えてくれた。

代金の700円を彼女に渡すと、彼女はぼくの方を向いて
ちょこんと膝を立てて座り、ちょうど万歳をするような格好になった。

彼女の右手には水の入ったコップが握られ、
彼女の左手にはスプーンが握られていた。

「はい、召し上がれ」

彼女はそう言って上目遣いをするようにぼくの方を見た。

彼女の頭の上に載せられたカレーを
このまま、食べろと言うのだろうか。

ぼくは自分の置かれた状況がよく分からずにいたのだが、
とても可愛らしい少女ともう少し一緒にいたい、
という思いもあって、疑問を抱きながらも、
ぼくは少女の左手からスプーンを取り上げ、
彼女の頭の上のカレーを食べた。

おいしかった。

そのカレーは今まで食べたことの無いおいしさで、
カレーがおいしい、というよりも他のどんな食べ物よりも
おいしい、そんな風に思えた。

でもそれは今思うと、少女の頭の上にカレーがあったから
こそなのかも知れない。カレーの秘密は、あの少女にこそ
あったのだ。

ぼくは女の子のことなんて忘れて無心にカレーを食べていた。
おいしくておいしくてたまらなかった。

こんなうまい食べ物がこの世にあった、ということに感謝した。
カレーを食べ終わると、ぼくはふと我に返り、
「ごちそうさまでした」と、少女に礼を言った。

女の子は「どういたしまして」と
とても素敵な笑顔でそう応えてくれた。

ぼくはなぜだかふわっとしたとても不思議な感覚に襲われて、
しばらくその場にぼーっと立ちつくしていた。

気が付くとカレーも少女もいなくなり、
ひたすら青い摩周湖だけが残っていた。

次の日、ぼくはまた摩周湖へ行ってみた。

本当はもう出発する予定だったのだけど、
もう一度あのカレーが食べたくて、
あの少女に会ってみたくて、摩周湖へ行ってみた。

あいにくその日はもの凄い霧で、摩周湖は見られなかった。

霧の摩周湖とは聞いていたけれど、
こんなにもの凄い霧が出るのかと、驚いた。

でも、摩周湖は問題じゃあない、カレーと女の子、
それがぼくの問題だ。

ぼくは霧の中、女の子を探した。

探すといったってこの霧じゃあ何も見えやしない、
それでもぼくはどうしても、もう一度、あの女の子と
カレーに会いたくて、日が暮れるまで摩周湖にいた。

その次の日も、ぼくは摩周湖へ出向いた。
霧こそ出なかったものの、一日中どんよりとした空模様で、
湖面にも普通に普通の青い水が湛えられていた。

その日も、やっぱり女の子とカレーに出会うことは出来なかった。

あれはなんだったのだろう?
夢だったのかな?

ぼくはそんな風に思った。

自分の記憶に自信がなくなると、自分の記憶を信じるのではなくて
自分の記憶の方をねじ曲げてしまうもの、なのかも知れない。

その次の日、摩周湖に来て4日目の日、摩周湖は再び
真っ青な空の下、それ以上に真っ青な水を湛えていた。

初めて来た日と同じ青さだ。

ぼくは少女に会った日のことを思いだし、
今日なら会えるかも知れない、そんな風に思って
少女に会ったのと同じ場所で、また摩周湖を眺めてみた。

「あ、あの、カレー、食べませんか?」

ふとぼくの後ろで声がする。

やった。

ぼくは心のなかでささやかに歓喜した。

「あ、あのカレー、」

ぼくが振り返ると少女はちょっと驚いて

「あ、このあいだの。」

と言ってくれた。

自分のことを覚えていてくれてなんだか
とても嬉しかった。

相変わらず少女は頭の上にカレーを載せて、
とても可愛らしい姿をしていた。

「また、カレーもらえるかな?」

ぼくがそう言うと、少女はあの時と同じように
「ありがとうございます!」と、とても活き活き
とした声でそう言ってくれた。

ぼくの前にちょこんと座った少女の上にはこの間と
同じようにカレーが載せられていた。

少女にまた同じように「召し上がれ」と言われると、
ぼくはまたカレーを食べ始めた。

やっぱりおいしかった。
幸せだった。

食べ物を食べてこんなに幸せな気分になる
ことがあるなんて、思わなかったけれど、
実際、本当に、ぼくはそれだけで幸せだった。

食べ終わると。

「ごちそうさま」

と少女に礼を言った。

「あの、この間も、来てましたよね?」

カレーがおいし過ぎるのか、それとも女の子のせいか、
ぼくはまたふわっとした不思議な感覚に包まれていたのだが、
少女の言葉でふと我に帰った。

「あ、うん、またカレーが食べたくて。」

ぼくは素直にそう言った。

少女はとても嬉しそうにほほえんで
「ありがとう」と言ってくれた。

「このカレーは君がつくっているの?」

ぼくはこんなにおいしいカレーをこの少女が
つくっていたら、とても素敵だな、なんて
思っていた。

「あ、うん、私のカレー。」

なんだかとても嬉しかった。

この女の子がこのカレーをつくっている
そう思うと妙に幸せだった。

「また、食べに来ても良いかな?」

本当はとっくに出発の日は過ぎているし、
夏休みだってもう終わりなのだけど、
ぼくはどうしてもまた女の子とカレーに
会いたくてそんな風に言ってみた。

「あ、はい、お願いします!」

やっぱり彼女はとても素敵な笑顔でそう言ってくれた。

「明日は、食べられるかな?」

ぼくがそう聞くと、女の子は少し困った顔をして

「うーん、約束は出来ないけれど、
カレーが出来たら、ま、またここに来ます。」

とそう言ってくれた。

やっぱり彼女のカレー屋さんは不定期な営業なのか。

ぼくは出発の予定も夏休みの予定も、
何もかもどうでも良くなって、来る日も
来る日も摩周湖に出向いた。

何度か彼女に会って、同じ数だけカレーを食べた。

何度か彼女に会う内に分かったのは、
彼女には天気が良ければ良い程会うことが出来て、
彼女のカレーは天気が良ければ良い程おいしいということ。

一度、凄く曇った日に彼女に会えたことがあったのだけど、
その時食べたカレーは、とてもおいしいと言えるものでは
なかった。

ぼくはおいしそうにして食べていたつもりだったけれど、
きっと彼女にはカレーの味もぼくの気持ちも分かっていて、
カレーを食べるぼくの方をとても悲しそうな顔をして見ていた。

気が付くとぼくは彼女に夢中だった。

カレーを頭の上に載せた少女が大好きで
少女の頭の上に載せられたカレーが大好きだった。

ある日、ぼくは彼女に、自分は彼女のことが大好きで、
彼女のカレーが大好きで、いてもたっても居られない、
ということを伝えた。恋している、と伝えた。

彼女はとても喜んでくれたけれど、
ぼくの気持ちには応えられないと、
とても悲しそうにそう言った。

よく分からなかった。

思わずも、彼女もぼくのことが大好きだと言ってくれた。

「あなたがカレーを食べて喜んでくれるのがとても嬉しくて」
それが嬉しくて、ぼくにカレーを届けてくれているのだと言ってくれた。

だけど、これ以上の関係にはどうしてもなれないと、
そう言っては涙を流していた。

それでもぼくは毎日摩周湖へ通い続けた。

摩周湖の天気のせいで、彼女とカレーに会えない日の
方が多かったけれど、それでもぼくは毎日、彼女に
初めて会った場所に、足を運んだ。

彼女も、来られる日は少し無理をしてでも来て
くれているようで、とても嬉しかった。

お互いとても好きあっていた、
言葉には出さなかったけれど、自然とそれが分かった。

彼女にはこれ以上の関係にはなれない、と言われたけれど、
ぼくはそれでも良かった。不定期ではあるけれど、ある程度の
頻度で彼女に会うことが出来て、彼女のカレーを食べることが出来る、
そして彼女のカレーを食べてあげることが出来る、それで充分だった。

そう。充分だったのだ。

それなのに。

それなのに、ぼくはある日、してはいけない、
と思いつつも、密かに彼女の後をつけてしまった。

彼女とカレーのことをもっともっと知りたかった。

彼女は一瞬立ち止まり、あたりをキョロキョロしてから、
何の道もない草むらの中へと身をうずめていった。

ぼくはギリギリ彼女を見失わないくらいの距離で、
彼女の後を追って道無き道を進んだ。

やがて1時間もすると、草むらはすっかり消え去り、
そこだけっぽっかりと、丁度少し大きめの小学校の
校庭くらいの空間が、開けていた。

そこにはなにやら黒い板状のものが敷き詰められていて、
彼女はそんな板状の1枚をめくって中へと入っていった。

地下室があるのだろうか。

彼女の姿が消えてしばらくすると、ぼくは彼女が
消えていった黒い板状の場所へと近づき、
恐る恐るその黒い板状をゆっくりゆっくり開いてみた。

中はやっぱり地下室になっていて、
とても広そうな空間に向かって、階段が一本、伸びていた。

ぼくはしばらくそこから階段の先の空間を伺っていた。

すると階段の先に広がった空間には、
彼女と同じようにカレーを頭に載せた少女が
幾人も、幾人も、行き交っていた。

そして、、なぜか、その少女たちは、
皆彼女と同じ背丈で、皆彼女と同じ顔をしていた。

これは・・・?

ぼくはどういう状況なのかよく分からずに、しばらく
その光景をぼんやりと眺めていた。迂闊だった。
ぼくは彼女たちの内の1人と、目が合ってしまった。

遅かった。

彼女たちは慌てふためいた。カレーの皿が割れる音が
次々に聞こえた。ぼくは思わず階段を駆け下り、目の前に
広がった空間に飛び出していた。

こんなに沢山・・・。

どこを見ても彼女と同じ姿形をした女の子たちが、
慌てふためいていた。

おそらく地上に広がっていたのと同じだけの広さの
空間が広がっていて、そこには右を向いても左を向いても、
彼女がいた。

訳が分からなかった。
混乱した。

ぼくは気が付くとその広い地下の空間を走り回っていた。

それでも、ぼくは不思議と、皆同じ少女の中から、
いつもぼくと一緒に過ごしてくれた少女を見分ける
ことが出来た。

それは、やっぱり、ぼくが彼女のことを
好きだったから、なんだろうか。

ぼくが彼女のもとへ駆け寄るのと同時に、
彼女も、ぼくの方へ駆け寄って来てくれた。

「こ、これは・・・?」

ぼくは、尋ねた。

「どうして・・・」

と彼女はただひたすらに悲しそうにそう言った。

他の少女たちも、ひたすら悲しそうに
ぼくらを眺めていた。

ぼくと彼女は、しばらく何も言わずに、
その場に立ちつくしていた。

やがて、彼女は周りの彼女と同じ少女たちに
目配せをして、小さくうなずいた。

周りの少女たちも、小さくうなずいていた。
仕方がない、という空気だった。

「私たち、アンドロイドなの」

彼女は唐突にそう言った。

「え、あ、そ、それは・・、え、」

ぼくが応えに詰まっていると

「信じられないのはよく分かる。
だけど、私の話を聞いて。」

と、そう促して彼女は続けた。

「ここはアンドロイドとして第二の人生を送りたい
女の子たちが集まってくるところなの」

「過去にどんな嫌なことがあっても、どんな辛いことが
あっても、どんな、どんな、酷いことがあっても、
ここに来れば、みんな幸せになれる。」

「ここはね、そういう場所なの」
「あなたの来るような場所じゃなかったのに・・・」

「・・・・・」

ぼくは何も言えずにいた。

彼女の言っていることを素直に信じることは出来なかったけれど、
この光景を見てはひとまず信じるしかなかった。

「ぼくは・・・、ぼくはどうしたら良いんだろう?」

ぼくはもう自分で何も考えられなくなって、そう聞いてみた。

「うん。私の、話を聞いて。」
「それだけで良いから、最後に、私の、私たちの話を聞いて。」

最後に。というのがとても気になったが、
何が最後なのかなんて、怖くて聞くことは出来なかった。

彼女は続けた。

「アンドロイドは、みんな同じ姿形になってしまうのだけれど、
だけど、でも、ここに来れば、私たちはカレーをおいしく食べてもらって、
カレーをおいしいって言ってもらえて、とても幸せに生きていられる。」

「普通に生きている時は、感謝なんてされたことなかった。
ありがとうなんて、そんな風にほほえんでもらえることなんて
なかった。」

「それに、わたしのことを好きだなんて言ってくれる人なんていなかった。」

彼女は涙をぼろぼろ流しながらそう続けた。

彼女が涙を流し始めると同時に、彼女の周りの彼女たちも、
同じように涙を流し始めていた。

「だけど、このおいしいカレーを頭に載せてさえいれば、
私たちは、いつだって、ありがとうって、ごちそうさまって、
おいしかったって、ほほえんでもらえる。」

「そんなささやかな幸せだけどね、私たちは、それで、充分なの。」

「みんな、そう。ここにいる女の子たちはみんなそんな女の子ばかり。」

ぼくは呆然と彼女の言葉を聞きいていた。
何を考えたって全ての思考が溶けていく。

「ここはね、昔偉い博士が、私たちが幸せになれるようにって、
つくってくれたんだって。この奥にある部屋に入ってね、
ボタンを押すと、アンドロイドになれるの。とても可愛い
アンドロイドになれるの。」

「今はもう、何十年も昔に博士は死んでしまっているのだけど、
でもね、私たちが、これから来る女の子たちのために、って、
博士がいなくなった今も、この施設を存続させて来たの。」

ぼくは言葉としては彼女の言っていることは分からなくもなかったが、
その状況を飲み込んで良いものかどうか分からずにいた。

ただ、この状況を見ては、彼女の言っていることが
本当に本当のことのようには思えた。

「ここに来るとき、太陽光発電の板が沢山あったでしょ?」

「あの黒いのは、発電のための・・・。」

「うん、そう。私たちね、電気で動いているの。人間じゃ、ないから・・・。」

「あれが私たちと、私たちがカレーをつくるための、エネルギー。」

「だから、だから、天気の悪い日にはあたなに会いに行けなかった・・・」

「本当は、毎日毎日あなたにカレーを食べてもらいたかったけれど、
毎日、あなたがカレーを食べて喜ぶ顔が見たかったけれど・・・」

彼女はとても悲しそうに、でもとても嬉しそうに、そう言った。

「最後にね、カレーの秘密、教えてあげる。」

彼女はまた、最後に、と付け加えて、そう言った。

「ね、ねぇ、ちょっと待って、
最後に、って、な、何が最後なの・・・?」

「これから、これから、どうなってしまうの・・・?」

ぼくは恐る恐る、そう聞いてみた。

「うん。いいから、最後まで私たちの話を聞いて。時間が、無いんだ。」
「全部、話すから、今は、私たちの話を聞いていて。」

ぼくはどうしようもない胸騒ぎを感じながらも、
ここは彼女の話を聞くしかないと思い、彼女に促されるままに、
話の続きを聞いた。

「ほら、私たち、アンドロイドでしょう。
私たちね、自分の体でカレーをつくることが出来るの。」

そう言うと彼女は頭の上に載せられたお皿を外してみせた。

「ね、ここ、よく見てみて」

彼女が頭の上を指さしてそう言うので、
見てみると、そこには小さな穴が、空いていた。

「こ、これは?」

「これね、ここから、カレーが出てくるの」

「ご飯はね、こっち。」

彼女はそう言っておもむろに服を脱ぎはじめ、
とても綺麗な体をぼくの前にさらした。

ぼくは彼女の体の美しさにハッとした。
この女の子が本当にアンドロイドだというんだろうか。

彼女は自分の両手で自分の両の胸に触れたかと思うと
左と右の胸の境目からその胸をパカッと左右に開いた。

ぼくは唖然としたが、それを見て、彼女の言っている話は
おそらく全て本当であるのだろうと、感じられた。
感じざるを得なかった。

開かれた、彼女の胸の中には、おいしそうな
ご飯がたっぷりとつまっていた。

「最後に、もう一度、私のカレー、食べてくれるかな。」

彼女はまた、最後に、と付け加えてそう言った。

「うん」

ぼくは何も言えずにただそれだけ応えた。

彼女は自分の胸の中からご飯をお皿によそり、
頭のてっぺんからカレーを出して、最後のカレーを、
そう、最後のカレーを、つくってくれた。

彼女は彼女の頭の上にカレーをセットすると、
いつものようにぼくの方を向いてちょこんと座り、
「はい、召し上がれ」と、涙混じりの精一杯の笑顔で、
そう言ってくれた。

「あのね、私たちのカレー、人に愛されれば愛される程
おいしくなるんだって、私たちの体はそういう風につく
られてるんだって、博士が残してくれた私たちの説明書に
そう書いてあった。」

彼女は恥ずかしそうに、悲しそうに、そして嬉しそうに、
涙を流しながらそう言った。

周りの女の子たちもやっぱり彼女と同じようにぼくらを見つめていた。

ぼくは彼女の左手からスプーンを取り上げると、
ゆっくりと彼女の、最後の、カレーを食べ始めた。

一口、二口。

とてもおいしかった。

今まで何度も彼女のカレーを食べたけれど、
この時食べたカレーは今まで食べたどの彼女のカレーよりも、
もちろん今まで食べたどんな食べ物よりも、おいしかった。

おいし過ぎて、思わず踊り出してしまいそうな、
飛び出してしまいそうな、そんなドキドキする
おいしさだった。

「ねぇ、おいしい?」

彼女は頬を赤く染めて恥ずかしそうにほほえんでいた。

「うん、凄く、おいしい。」

「いままで食べたどの君のカレーよりも、おいしい。」

「なんだか、おいしすぎて、
胸が、飛び出してしまいそう。ドキドキする。」

ぼくは素直にそう伝えると、夢中になって、彼女の、
最後のカレー、を食べた。途方もないおいしさに、
ドキドキドキドキしながら、カレーを、食べた。

彼女は涙を流して喜んでくれた。

周りの女の子もとても嬉しそうだった。
ぼくにはなんとなく状況が飲み込めつつあった。

「良かった。」

「私、アンドロイドになって良かった。」

「あたなに、愛してもらえて、とても幸せだった。」

「私、アンドロイドだけど、あなたのことがとても
好きだった、とてもとても好きだった。この気持ち、
分かってもらえるかな、受け止めてもらえるかな。」

彼女はもうほとんど言葉にならない声でそう言った。

ぼくにはもう、ぼくが何を言ったら良いのか、分かっていた。
それに、ぼくの気持ちも、もう一つだった。

「うん。大丈夫。」

「君がアンドロイドだって、ぼくは君のことが大好きだ。
ぼくは君のことがとてもとても大好きだ。」

そんな言葉が自然と出た。
本当にアンドロイドでも良いと思った。
歯の浮くような言葉だけれど、それが一番自然だと思った。

「嬉しい。凄く嬉しい。」

アンドロイドだって良い、ぼくと一緒にいて欲しい。
そう口を動かそうとした時、彼女はそれを察して

「言わないで」

とぼくの言葉を遮った。

「私たち、もう動けなくなっちゃうんだ。」

彼女はもうぼくに何も言わせないかのように、
そう、言った。

「ここを訪ねて来た女の子以外の人間に、私たちのことを
知られてしまったら、私たちは、やがてその全ての機能が
停止するように、プログラムされているの。」

「説明書にそう書いてあった。」

「あと、30分くらい。」

「あと30分もすれば、私たちは動かなくなってしまうのかな。」

「そ、そんな・・・」

ぼくは言葉を失った。

「でも、気にしないで欲しいの、私、とても幸せだったから。」

「私たち、とても幸せだったから。」

「ここにいる女の子たちは、みんな分身のようなものなの。
私を愛してくれる人がいる、ということは、他の女の子たちを、
愛してくれる人がいるのと同じことだった。」

「ここにいる女の子たちは、あなたのおかげで、毎日幸せだった。
私たちはそれで満足だった。だから、私たちのことは気にしないで。」

「それが、言いたかった。」

「幸せだったって、ありがとうって。」

「あなたに、ありがとうって、幸せだったって、伝えたかった。
私たち、きっともう少ししたら、動かなくなってしまうけれど、
それでも、私、私たち、幸せだったって、あなたがここに入って
来たとき、動かなくなる前に、あなたにそう伝えなくちゃって、
そう思ったの。」

「みんな同じこと思ってる。」

「そ、そんなこと言っても・・・」

ぼくはもう何がなんだか訳がわからずにいた。
口にする言葉も分からなければ、瞬きの仕方
すら分からなかった。

「最後に、キスしたいな。」

彼女はぼくの背中に手をまわし、
ぼくの胸に顔をうずめるようにすると、そう言った。

「うん。」 「ゴメンね。」

不甲斐ないと思った。情けなかった。
だけど、それがただ一つ、ぼくが、最後に彼女に、
彼女たちに、言うことの出来た言葉だった。

ぼくはいつの間にかぶるぶると震えていた体で、
彼女を精一杯を抱きしめた、そして、唇を重ねた。

彼女の唇はとてもアンドロイドとは思えなくて、
まさに人間そのものだった。

ずっとそうしていたかった。

彼女の体はとても暖かくて、本当にもう動かなくなって
しまうのかと、信じられなかった。そんなことあり得ないと、
何度も自分を説得した。

けれどその時はやって来た。

彼女は少し唇を離すと

「さようなら」

と、そう言ってまた唇を重ねた。

周りの女の子も、ぼくに、
ありがとうありがとうと言ってくれた。

とても耐え難い状況だった。

ぼくのせいでこの女の子たちは、その生命を
断たれてしまうのに、その女の子たちにお礼を
言われるなんて一体ぼくはどうしたら良いって
いうんだ。

それから間もなくだった、彼女の、彼女たちの頭のてっぺんから、
カレーがいっせいに吹き出し、彼女たちの生命力の全てがカレーに
捧げられたかのように、カレーはもの凄い勢いでとめどなく溢れ続けた。

ぼくは、彼女を抱きしめながら、
これで良いんだ、うん、これで良いんだと、
カレーを頭からかぶりながらそう思った。

彼女たちだって、幸せだったって、言ってくれた。
これで、良いんだよね、これで。うん。

やがて彼女の体は冷たくなり、次第次第に硬くなっていった。
ゴムのように、木のように、そして、鉄のように、硬く、冷たく、
なっていった。それでも、カレーだけは溢れ続けていた。

ぼくは延々と涙を、鼻水を、涎をたらしながら、
硬くなった彼女を、抱きしめていた。

これで良いわけがないのだ、、これで良いはずがないのだ、
だけど、これで良くなければ、一体、どうしろというのだ。

ぼくはやり場のない感情に、
ただただカレーを浴び続けていた。

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